10秒くらいフ〜っと一定の強さで息を吐き続ける検査で子供には到底無理だと思っていましたが、小学校低学年くらいからならできそうなので当院でも導入してみようかと考えてます。
しばらく更新が空きました。前回の更新から風邪がかなり悪化し、一時喘息発作まで出てしまう状況で やーっと落ち着いてきて、先日無事(無理やり?!)親友の結婚式に行ってきました
産後の疲れからの、頼れる人のいない2ヶ月間の完全一人育児、食物アレルギー再発に、落ち着いたのもつかの間この2カ月で風邪を3回も引いてしまうという かなりかなり、免疫落ちまくりです
やっと治ってきたので、今度こそ、今度こそ!もう風邪は引きません!!
ここで宣言したら引かない気がするので宣言してみました…
当日は親友からのメッセージを依頼されていたので、どうしても行きたくて。 前日は喘息発作が止まらずやばかったんですが、夫に息子を見てもらって私は横になったりして。
当日朝はなんとか回復して、式に参列することができました!
それにしても0歳児を連れての結婚式は今回で2回目ですが、ゆっくりする暇はほぼほぼないですね
式の間は息子がおしゃべりしないよう座りながら夫がユラユラ。
式が終わったらすぐ授乳室へ!
授乳が終わったらすぐ披露宴!
披露宴会場では夫と交代で離乳食をあげつつ自分達も食事をとって。
キラキラした照明や音楽に息子もキョロキョロ楽しそう
午後からの式でしたが、夕方には息子ヘトヘトになって、スヤスヤ眠ってしまいました
すっごくバタバタでしたが、それでも素晴らしい結婚式に参列でき、とっても楽しかったです
お利口さんにしてくれていた息子、協力してくれた夫には本当に感謝!!!!!
さて、今日は午前中3時間、夫に息子を預けてフリータイムをエンジョイしてきました。
授乳間隔が空くと、預けやすくなるから楽ですね? お気に入りの山の温泉までドライブして、帰りは道の駅でソフトクリーム食べて。お土産に栃餅を買って帰りました(なんともおばちゃん風なフリータイムの使い方)
人それぞれリフレッシュ方法って違うと思いますが、私は温泉が本当ーー!にリフレッシュできる場所なんです。
おかげさまでリラックスできたからか、本日喘息も結構良くなり嬉しいです
私が出かけてる間、息子は1時間半もお昼寝してくれてたらしく、帰ってからもゴキゲンで夫とごはんをパクパク食べていました
夕方からは夫は職場の泊まり掛けの忘年会に出かけてゆきました。
毎日夫とお風呂に入るのが大好きな息子、私とのお風呂と知った時の不満顔といったら…ゴメンよ?いないんだから仕方ないでしょ
明日の支度が終わり、今ようやく1人ゆったりしています。
眠るまでの間、作りたいもののデザインをワクワク考えたいなぁと思います
明日も素敵な1日になりますように!
Have a happy day
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Minneにて作品販売はじめました。
昔、私の兄は、
喘息もちだった。
何が原因かわからないけど、
気づいたら発作が起きて、
昼夜問わず、しょっちゅうゼェゼェ言いながら泣いていた。
発作の起きるきっかけは色々で、
◆怒って感情が高まったり(ストレス?)、
◆ホコリっぽい空気の悪いとこにいたり(だからうちは、ペット飼えなかった)、
◆寒すぎたり、
◆激しい運動しすぎたり(でも水泳は勧められていた)、
◆単に風引いてた時だったり、
とにかく兄は、色んなことがきっかけで発作をおこしまくっていた。
何度も救急にお世話になった。
病院行かずにジッとしてたら治る程度の発作もあわせたら、あいつは一体、何度発作を起こしていたのだろう?と思う。
弟と、「出来るだけあいつを怒らせんとこう」と協定を結んだ。
でも、べつの持病もあって入院したりで、私らが気を遣う遣わないにかかわらず、兄はいつもイライラしていた。
思い出に残ってる出来事。
私が小学低学年くらいのとき、家族ででかい船に乗って母の田舎に行ったことがある。
あろうことか、夜中、兄は船の中で発作を起こした。
「またゼーゼー言ってる・・」
小さい私は、
「ああまた、いつもの(発作)や。かわいそうやなぁ」
としか思わなかった。
喘息の子がよく持ってる吸入器がその時は何故か無くて(なんでだろ?使えなかったのかな?私も幼くて記憶がそこは曖昧)、
兄はずっと苦しそうで、
大勢の大人に囲まれまくってて、←今思えばこれ、本人が余計にパニックになるから良くなかったんじゃなかろうか
ついに、船は寄るはずのない港に緊急停泊することになった。
兄の発作は、船を止めた (;´Д`)
翌朝、船内放送が流れた。
「昨夜、急病人が出たため、本船は○○港に緊急で寄港いたしました。そのため、▲▲港への到着は遅れまして・・」
とかいう内容だった。
それはすごく覚えてる。
中学のときは、友達にも
喘息の子がいて、いつもマラソンとか見学してた。
私はアホすぎて、その時は「マラソン休めてエエなー」とか思ってた。
よくつるんでたから、その子の発作もよく見てた。
何を忘れ物しても、吸入器だけはいつも忘れないのに感心した。
無理をするとすぐ喘鳴がきこえるのでハラハラした。同じブラバン部だったけど、その子が楽器運ぼうとするから、いつも全力で奪った。
私は大太鼓をかつぎ、その子にはトラアングル持たせた。
しょうもないことばかり覚えている。
子供は残酷なところがあるから、
喘鳴をきくと「変な息してて気持ち悪い」とか平気で言う奴がいたし、
陰でゼーゼー言うのをモノマネする奴もいた。
あれ、あの子も知ってたと思う。
色んな意味でだいぶ苦しかったやろなぁ、
とか、今になって思う。
「息が吸えんくなる」
息が吸えんくなるねん?としか、聞いたことがない。
《なってない奴に、話したってわかるわけない》
そんな事を言う人間じゃないけど、
無意識にそう思っていたのかもしれない。
苦しくて当然だ。泣いてまうのも無理はない。
呼吸ができないのだ。
私たちは、呼吸を止めたら、どれだけ強い人間でも確実に死ぬ。
意識のあるまま空気を絶たれることは、とても苦しい。
『呼吸がしんどいというのは、すごく孤独なつらさだな』
と、私は自分が気胸になって、初めて身をもって実感した。
初めて気胸したときは、日に日に呼吸が浅くなってく恐怖だった(気胸と思わず放置してたので)
ドレーンを挿すたびに、肺の再膨張は苦しかった
カバーリング失敗して気胸になった夜は、肺に溜まった水で胸が重くて、横になっておられず、徹夜で呼吸難に苦しんだ。
会社で外回り中に息が吸えなくなって、真冬のオフィス街のど真ん中で、真っ青になって立ち止まる。動悸がやばい。
寒いのに冷や汗もとまらない。パニック。
ドレーン挿したまま出社したら、午前中で肺がしぼんでくのを実感。
会社のトイレでストローのようにドレーン吸って空気抜いてみようかと、ちょっと本気で考えた(絶対やったらあかんやつ)。
咳が止まらなくなって、むせ無き。
いつ止まる? 何をしても止まらない。
ただ時間が過ぎるのを待つ。
突然の咳き込みは会社でも電車の中でも起きた。
人の視線が痛い。
意識したら、余計にとまらない。
100メートルが息切れで歩けない。
何度も立ち止まる。
肩で大きく息をする。
うちの95のじいちゃんのが歩くの早い。
歩きながらしゃべるとか、絶対無理。
そして、咳&くしゃみのしすぎで、
また気胸。
もう普通に息して歩くことは出来へんのと違うかと思った。
血ガスの数値で在宅酸素適応レベルと言われて、よけい酸素が薄くなった←結局うやむやのまま、静脈血が混ざったと仮定されて、今も自力で生きてる。
手術後、ICUで酸素マスクをつけるも酸素足りず、
むしろマスク着けてるのがうっとおしくて、余計に苦しい気がして、
上がらない腕を無理して上げてマスク取って、
看護師に怒られた。
あー、苦しかった。
くるしいくるしい。
で、
そんなとき、やはり、昔の兄を思った。
「あいつもしょっちゅう発作起こして、あらゆる場所で泣いてたな」と。
「苦しかったやろなぁ・・」→遠い目
だから、兄の苦しさと私の苦しさも違う。
もっと言えば、
同じ気胸でも、
Aさんの気胸の呼吸苦と・Bさんの気胸の呼吸苦はちがう。
なので、前述したように、
呼吸がしんどいって、孤独なつらさだなと思う。
楽になるまで、自分と対峙するしか。
昔、
私の咳が止まらなくなって、10分くらい、
ゴホゴホヒューヒューゴホゴホ
を繰り返してたことがあり、
そのとき、心配して親に
「アヤコやばそうやで」とチクッていた兄。
兄は騒がない。
しんどい時に周りでバタバタされたり、大丈夫か大丈夫か?って言われたりすることのうっとおしさを分かってらっしゃる
でも、現場(?)からも離れない。たまに見に来る。そして何か確認したら黙って去る。
よくできたヘルパーのよう。
かいかぶりすぎだろうか?笑
でも、まぁ分かるだろう。
呼吸苦は。
最近やっと、
「悪かったな、昔あんたが発作起こした時は見てるだけで」
と反省した。
こんなどーしようもない体抱えて、そりゃ、イライラもするわな。
呼吸ができるというのは、当たり前のことだから、
当たり前に出来ることは誰も意識しない。
まして、いきなり呼吸困難に直面したときの本人の動転など、想像もできない。
鼻詰まりレベルと違うんやで。
酸素が薄まる苦しさは。
マラソン終えたあとでも、もうちょい楽やったで。
分かるかこんなもん、、
酸素がうすい、頭が痛い、パニック、しゃべりたくない、考えられない、吸っても吸っても吸えない、痰が呼吸を邪魔する、ここ山頂か?、横になりたい、まっすぐはだめだ、丸まろう、吸うな吸うな、吐け吐け、やっぱ酸素の機械もらっときゃよかったかも、落ち着けフーフー、ドキドキ止まらん・・
てなことで、いっぱいいっぱいになる。
呼びかけに応じる余裕がない。
呼吸苦。
子供の呼吸苦を見てるだけの親もすごくつらいと思う。
うちの親は、昔から、子供に心配しっぱなし。
兄の発作はもう出なくなったけど、
何年経っても親は定期的に、
と言う。そして、
「このままずっと、でなかったらいいのに」
と言う。
夜中に何度も救急にかかり、翌朝は共働きなのでフラフラのまま仕事に出る。
そんな日々のしんどさと、子供がどうなるか分からなかった不安は容易に消えないようだ。
トラウマというやつか。
つまり、いろんな人の気持ちが、
いろんな人の中にある。
だから私も、病気を伝えてない人に分かってもらおうとは期待しない。ことにした。
昔の自分を基準にしよう。
それから、自分が特別に不幸だとも、もう思わない。
最近、体調にも心にも波はあるけど、
普通に歩けて出かけもできて、働けてることを私はいちいち嬉しく思う。
何より笑う事ができる。これは、本当に幸せだ。
酸素が吸えてる。てってけ歩ける。
・・ありがたい。
兄よ。
どうやら私は、《わかる側》の人になった。